71:いまに寄り添いたい
強い文脈と弱い文脈がある。
売上とかKGI/KPIとか、こういう職業につく、夢・目標を達成する。
みたいな話は、僕には強い文脈に感じられて、目標に向かって前向きにポジティブに取り組むことは、とても楽しいし、素敵なことだと思う。
だけど、つねに前向きではいられなかったりする。
ぼくはそうなんですけど(笑)
目標が無い・見失う、本当にこれでいいんだっけ?と不安になる。
行動しているけど前進している感じがしない。
しんどくなって楽な方に流れてしまう。そしてちょっと後悔したりする。
みたいな話は、人の弱いところな気がしていて、弱い文脈に感じられる。
こういうのは、あんまり楽しくないし、気持ち良くない。
だから、いかに楽しく、前向きに生きられるか。
前向きに目標に向かうために、弱い文脈のときに何をするか、が大切。
たしかに、と思う。
弱い自分がいてもいいけど、結局その時、ちょっと休むとか、楽に流れてエネルギーを蓄えるとかって、最終的には目標に向かうためである。
って、良き考え方だと思うし、あるべき姿、だと思う。
けど、僕は本当にそれが、あるべき姿なんだろうかって思う。
なんとなく、結局の所、人は前向きに、目標に向かっていないといけない、という強い文脈で生きなければいけない。みたいな感覚。
弱い自分はダメな自分、あんまりよくない状態、みたいな。
だから、強い文脈のために弱い文脈のときにどうするか。っていう話になる。
でも、ぼくは、弱い文脈のときは弱い文脈のままでいいんじゃないかなって思う。
強い文脈のために何かをしなくたって、人は何かをきっかけに勝手に弱い文脈から強い文脈に切り替わるものだと思うから。
やまない雨は無いわけで、明けない夜も無いわけで。
だから、僕は、その時のその人、その人のいまに寄り添いたい。と思う。
もちろん、僕も、ブログタイトルのように、楽しく生きたいし、楽しく生きるために何が手助けになるかってよく考える。
だけど、弱い文脈の時に、他人にそんなこと言われたって、無理なものは無理だし(笑)
自分で自分に問いかけることに意味があることで、そこに必要なのは、自分が自分に問いかけられる様になるまでの間、寄り添ってくれる存在だと思う。
で、強い文脈に切り替わりそうな時に、応援してくれる人がいてほしいし、切り替わったあとは、それを後押ししてくれる人がほしい。
つまり、これは役割の話なんだと思う。
だから、ぼくは、役割として、いまに寄り添う、といことを、話を「聴く」ことを通してやりたいのだと思う。
70:人から人へ
人の話を聴くって、みんな繋がってるなって思います。
例えば、Aさんの日常のお話を、友達Bさんが聴くとする。
友達Bさんがめちゃくちゃ持論を展開して、Aさんはさらにモヤモヤしたとする。
と、友達Bさんとの間にあるモヤモヤを聴く、Cさんが登場する。
友達Bさんに全部聴いてもらって、Aさんはスッキリ。だけど友達Bさん的には価値観が違いすぎて、とか、自分と重ねた時にモヤモヤしたとする。
と、友達Bさんのモヤモヤを聴く、同僚Dさんが登場する。
そうやって、人と人は聴き合う連鎖が起きる。
この時、たまに、ものすごく聴き上手な人が登場したりする。
で、この聴き上手な人に話を聴いてもらった体験を持った人は、自分が誰かの話を聴く時に、相手に少しでも同じ体験を提供したいと思い、前よりもちょっとうまく聴くための創意工夫をしてみる。
そうすると、その創意工夫が良き体験になった場合、聴いてもらった人が同じように何か創意工夫をしてみる。
そうやって、聴き合う連鎖が繋がりながら少しづつ高まっていく。
そんな構造があるなぁと思います。
もちろん、上手く繋がる時もあれば、繋がらない時もある。
でも人は面白いもので、繋がらない時にこそ、「どうしたらいいだろう?」という探究心が発動したりする。
そしてまた、別の創意工夫が生まれて、繋がっていく。
聴くこと以外にも、色々なところで、こういう、人から人への繋がりってあるんだろうなぁ。
僕は、聴くことが好きなので、連鎖の中で良い「聴いてもらえた」体験を、色々な手段で作っていきたいなぁって思うのでした。
69:やりたいこと=やりたくないこと
やりたいこと、も、やりたくない、ことも、分解してしまえば
- やれること
- やれないこと
の2つになる。
つまり、やりたい、も、やりたくない、も要素は同じ。
じゃー違いはなんだろうか。
やりたいの中には
- やれるから続けたい
- やれないから、やれるようになりたい
- もっとやれるようになりたい
みたいなものがあるような気がするし、
やりたくないの中には
- もうやれるから楽しくない
- やれないから楽しくない
- やれるかどうか分からない
みたいなものがあるような気がする。
で、違いは結局のところ、いま目の前にあるものを、
自分がポジティブに感じているか、ネガティブに感じているか
のどちらかでしたかないんじゃないかな。
僕はついさっきまで
やりたい仕事をしたい、と思って転職サイトを見ながら、
やれるかな?これはやりたいことかな?この会社で大丈夫かな?
これやりたい!ってワクワクするような求人って無いんだなぁ。
って思ってた。
つまり、やりたい、って気持ちにだけなる求人を探していたんだと思う。
だけど、結局の所、やりたい、やりたくない、の要素は同じだから、どこまでいっても、ワクワクと不安は、2つで1セット。
ワクワクだけがそこに存在することはない。
だったら、ワクワクだけが存在する求人を探すことは不可能、という結論にいたった。
じゃーどうするか。
結局、自分で「自分がやりたいこと」かどうかだけを、考える選択をすればいい。
不安はなくならないので、そこは見ない。
やりたいこと、だけ見ていれば、未来の可能性にワクワクしだす。
こんな働き方もやりようによってはできるかも、とか。
あれ?これって、僕が感じたいと思っていた「ワクワクだけが存在する求人」を見ているときの気持ちじゃないか(笑)
なんだ、そういうことね。
結局、自分でこの世界をどうみるか、それだけなんだな(笑)
68:想いにさわる
人の想いにさわれると、うれしくなる。
自分が知っている人が語ってくれている想い。
自分がさわれそうな距離感にいる人の想い。
すべてのものごとには、何らからの人の想いがあるような気がするけど、やっぱりそういう、距離感、温度感を感じられる想いにさわれると、うれしくなる。
そう思うと、自分の想いは一番さわりやすい。
だから、自分の想いにさわれると、うれしくなるのか。
67:うれしいこと
ありがとうっていう言葉をもらえると、うれしくなる。
なんだか自分が思ったことを受け取ってもらえたような、そんな感じがしてうれしくなる。
意図的にやっていなくて、実は喜んでもらえたっていうことも嬉しいけど、
自分が意識的ににやったことに対して、ありがとうを貰える方がうれしい。
何か意図的にありがとうをもらおうと思ってやったことの場合は、
嬉しいというより、楽しいとか達成感という感覚になる。
自分の行為を受け取ってもらうことは楽しい。
自分を受け取ってもうことは嬉しい。
そんな違いが感情にはあるんだろうなぁ。
楽しいと、嬉しい、だったら、僕はうれしい気持ちになりたい。