61:決められないときが、もっとも不安なのかもしれないな
やったことないことって不安に感じることも、楽しく感じることもある。
やったことないことをやった先に、起きてほしくないことを想像すると不安になる。
が、楽しいことに繋がりそう、もしくは、未来は分からないが、いまそれが楽しそうって思えると、楽しく感じる。
書いてみると、すごく普通なこと(笑)
起きてほしくないことが起きそうだと感じているときは、やらなければいい。
楽しいことが起きそうだ、とりあえずやりたい、と感じたときは、やればいい。
常にやったことないことをやらなきゃいけない、なんてことはないからね。
どうするか、決められないっていことが、もしかしたら一番不安なのかもしれないな。
だから、やる、やらない、だけ自分に素直に決めれたらいいのかも。
60:ぼくも何かやり続けてみよう
たまたま見つけたWEBサイト。
たまたま見つけた文章。
人が本質的に求めていることは、”自分の存在や自分を理解してほしいという気持ち”なのだということに気付かされ
(岩丸潔自分史サイトより)
すごくわかる
承認欲求とは少し違うような、もう少し純粋な気持ちというか。
僕はその人の存在やその人の価値観を理解をしたいし共感したい。
そしてその価値観に触れた人が、新たに自分の価値観に気がついていく。
そんなことを起こしたいと思う。
そのための挑戦をしていこうと思う。
気張らずに。
59:今を楽しんで生きたい
久々に長ったらしい思考の投稿で失礼します。
生きたい、とか書くと重苦しいですね。
でも、そういう重苦しい話じゃありません(笑)
ここ数ヶ月、日々違和感を感じながら過ごしてました。
で、先日、対話の中で、その違和感は「具体のズレなのでは?」という言葉に腹落ち&納得をしました。
この「ズレ」について対話をしている中で
「具体的にズレを感じている=嫌だと思っていること、ってなんだろうね?」
という問いかけを貰いまして、ここ数日思考をしていました。
で、このズレが、
未来のために今がんばることが楽しい
今のために今がんばることが楽しい
というズレっぽい気がしてきています。
(なので、これを書いてみています(笑))
例えるなら
未来のために今がんばることが楽しい = クライミング
今のために今がんばることが楽しい = トレッキング
言わずもがな、ですが、どっちが良い、という事ではないです。
また、僕の中でクライミングで生きることも当然あります。
ただ、ずーっと投資し続けて、いつ、そのリターンもらえるの?って思ってしまったわけです(笑)
(ここまで書きながら、投資すること自体が楽しい、って感覚が僕の中にもあるなぁ、というまた新たな迷いと違和感を感じています(笑))
色々な方が言っていますが、結局は「自分で世界をどう見るか」で日々の感じ方が変わります。
では、「自分で世界を「楽しい」と見るために、何が手助けとなるか?」という問を立ててみたときに、僕はクライミングよりもトレッキングの方が、自分で世界を楽しいものと見やすいな、と思った訳です。
なので、今を楽しんで生きたい、と思っています。
ただ、1つ問題があります。
今の世は資本主義なわけで、資本をどうしようか、という話です。
仕事や会社では、クライミングが求められる場面が多い気がしています。
課題解決思考とか。
となると、トレッキングで生きていける仕事や会社ってあるんだろうか、という問題。
と、これもここまで書いてみて、この問題もトレッキングしていればどっかで見つかるだろう、くらいでいいんだろうなって思いました(笑)
この問題どうやって解決しようかなぁって思ってたけど、それがすでにクライミングしようとしているということだ、ってことに気がついた、という。
それはそれでいいんですけどね。
ただ、いまこの瞬間は、「今を楽しんで生きよう」って思ってますし、せっかくなのでトレッキングしてみようと思います(笑)
そう考えると、こむぎ(犬)は、まさに、今を楽しんで生きている存在だな〜。(尊敬)
58:積み上げる時間の使い方、目的を持つこと
どうも、たみおです。
消費は不足を補う必要がある感じがして、消費する度に不足感があるから、どんどんやっちゃう割に終わった後に「あー…」て感じがするのではないか。
それよりも積み上げる様に時間を使いたい。 10やったら1でも2でも積み上がる、増えていく感じ。 その方が楽しいのではないか。
その為には目的を持ってやる事なんじゃないか。
なんて事を考えて、毎日最低限やる事を3つ決めました。
さて、今日も1でも2でも積み上がる事をしよう。 今日を楽しくするために、実験は続く。
57:お話を聞いていて「不快です」と言われたこと
どうも、たみおです。
久しぶりに学びと気づきを得たことを書こうと思います。
今日は、世界はやっぱり思い込みで出来ている、というお話です。
正直言って今すごく不快です
先日、個人的に相談を受けていて最後に言われたのが、「正直言って今すごく不快です」
これまで2回ほど話を聴いていたんですが、それがすごくうまく言ってました。
それもあって、グイグイ踏み込み過ぎました。
正直、今ここで話せない本音があります。それが出せないが故に、話をしていること自体が不快でしかないんです。本音を言えれば信頼関係ももっと深くなって、不快にもならないんでしょうけど…すみません。
というお話でした。
しまったー。グイグイ行き過ぎたか…。
もっと寄り添って、相手の目と同じ目で見ないといけなかったなぁ…。
自分の意見を言いすぎたなぁ…。
などなど、反省点の多く残るセッションとなりました。
それって本音を言わせたって事だから勝ちじゃないですか
この話をチーム内にいる別会社の人にしたところ
むしろ本音を言ってるって意味では職務をまっとうしたって事で言うと、むしろ勝ちじゃないですか(笑)
はっ!
なるほどっ!
確かにそうとも言える。
その考えはなかったなぁ。
と思えたら救われた気がしました。
いや、むしろ長い目で見たら良かったのかも知れない。
不快だったって事はその人もそこが問題だと認識をしているんじゃないですかね。だからこそ不快に感じた。
それがその時の素直な気持ちでしょうから、たみおさんの勝ちでしょ(笑)
世界はやっぱり思い込みで出来ている
このブログでも常々書いている事なのに…人って言うのはすぐ忘れちゃうんだから、やれやれです。
でも、今回の事で、世界って言うのはどうなっているか、じゃなくて、僕がどう見ているかで決まるよな。
と改めて思いました。
気づかせてくれた、別会社の方に感謝。
今日も読んでいただきありがとうございます。
それではまた。