56:やりたい事って多分思い込みだから、やりたくなったら適当にでもやっちゃった方がいい
どうも、たみおです。
久しぶりに書き留めて置きたくなったので書いてます。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
今日は、「やりたい事」って、多分思い込みだったり勘違いだったりするものだから、「やりたい」と思ったら、そのタイミングで適当に・小さく、途中で投げ出しても良いから、何か行動に移してみよう、という話です。
この「やりたい事」って思い込みなんじゃ?
最近、1on1の効果を最大化する為にはどうしたら良いのだろう?という事を良く考えます。
その為に、ファーストフード店で1人、プラスチックのマドラーをコーヒーカップに投げ入れ様とした時にどんな気持ちや感情が生まれるのか、という何ともサイコな人体実験をしたりしてます。(なんのこっちゃ)
で、そんな事を考えていると、結局僕はなにをしたいんだっけ?って考え始めます。
やりたい事ってなんだろう?
自分としては、人も自分も楽しく生きる、というのが目的だと思っています。
でも、それって本当だろうか?本当にやりたい事だろうか?
って思うわけです。
そのやりたい事って思い込みかも知れないな、勘違いかも知れないなって、思うわけです。
じゃー何がやりたいんだ?という事で、やりたい事を探し始める。
そして、何かの拍子に「あなたのやりたい事は?」って聞かれて、結局なんだろう?ってなったりして、やりたい事を見つけていて、そこに向かって邁進する人と比較して落ち込む訳です。
はー…
やりたい事はそもそも思い込みだ、と捉えたら
ってところで、ちょっと思ったんです。
ん?でも待てよ。
もしかしたら、「やりたい事」自体ただ思い込みで勘違いな物だと捉えたらどうだろう?
周りの人や世間の人が良いといった事を、僕も良いと思い込んで「やりたい事」にする。
なんとなーくコレかな?と特に感情の高ぶりみたいなものも無く、フワッとやりたいって思う。
僕が決める「やりたい事」ってものは、そもそもそう言うものなんだ、と捉えたらどうだろう?
だとしたら、思い込んだまま、勘違いしたままでも、やりたいと思ったらやっちゃう方が良くないか?
何もしないまま、やりたい事探しをしても、何も変わらない。
だけど、何かやったら経験は残る。
成功でも失敗でも何かしらは残る。
だったら、適当に、小さく、達成出来なくても、その時出来ることをやった方が良いじゃないか。
と。
やりたい事は思い込みでOK
やりたい事なんかないんです…。
って多分、超凄い、一生かけてでもコレをやる!みたいな「やりたい事」が無いってだけで、フワーッとしてる「やりたい事」はあると思うんです。
それで良いのでやりましょう。
やってみたら何かが分かります。
やってみれば何かが残ります。
絶対、大丈夫です。
あなたならきっとやれます。
僕も不安になったり迷ったりしますけど、
やってみる様に頑張ります。
一緒に頑張りましょう!
「やりたい事」って、多分思い込みだったり勘違いだったりするものだから、「やりたい」と思ったら、そのタイミングで適当に・小さく、途中で投げ出しても良いから、何か行動に移してみよう